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2012年11月15日

自分を伝える。

ある日、突然「お前と俺の違い、分かった」と旦那が一冊の本をワタシに差し出した。その本のタイトルは“自分を伝える”とある。彼曰く「この本の文頭に俺達の言葉の違いが書いてある」と。ほほう~とページをめくり、文頭の一部を抜粋させて頂くとこのように書いてあった。

はじめに、文章をいかに書くかについて、日本語の原点に立ち戻って深くかつ鋭く言及している次の2冊の著書をとりあげます。
谷崎潤一郎『文章読本』(1934)
木下是雄『理科系の作文技術』(1981)
「感想を排した明晰な文章を書くことをどこまでも心がけるべきである」と説く『理科系の作文技術』と、
「あまりはっきりさせぬよう、意味のつながりに間隙を置いて含蓄(がんちく)のある文章を書かねばならない」と主張する『文章読本』の隔たりは、一見、際立っています。

本のこの一部のみを読むと、まず「いい文章」のあり方について、2冊はそれぞれに両極端の定義を置いている。感想を省いてハッキリと簡潔に書くのがいい文章と説く『理科系の作文技術』と、主格を入れずに曖昧に抽象的に書くのをいい文章とする『文章読本』。そしてワタシは『文章読本』のような解釈を「いい文章」だと思い、こうして文をつらね、日頃も発言している。一方の旦那は完全に『理科系の作文技術』のように物事を考え、表現し、伝えている。その二人が会話をし、意志の疎通を図ろうとすると時々全く噛み合わない時がある。“犬も食わない”ような会話をするときには尚更。「じゃ、結局何が言いたいんだ」と一方が言えば、「そんなにあからさまに言わなくても」と一方が吠える。・・これ以上は割愛の域でしょう。
いずれにしてもこの一冊の本のおかげでお互いが持っていたモヤモヤやわだかまりは多少解消されたような。そしてワタシはこれまでの伝え方が自分本位で言葉足らずだった事を後悔した。ハッキリと言うべき時に、曖昧さを含んだ表現をしてしまったり、オブラートに包んだつもりが返って相手を悩ませてしまったり、誤解を招いたりしてしまった事があったから。これからは『理科系の作文技術』のようにハッキリと明快に言葉を並べられるように文章を学んでいきたいと思います。
・・にしても日本語は一語一句を並べるだけでも本当に難しくて奥深くて人それぞれ個性がありますよね。飽きないように怠けないように一生かけて勉強しなければいけない言葉って・・いまだに学生気分。
自分を伝える。
 


タグ :読書

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Posted by おかっぱ at 04:15│Comments(0)ワタシノシュミ
 
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