2012年05月12日
return.
ワタシの母に「復帰前ってどうだったの?」と聞くと、必ず出だしはこうだった「あの頃は楽しかったよ。数ドル持っていればハンバーガーとビールを持って映画も観れたし夜中ドライブできたし。何でも出来たよ~。そしてアメリカ人は優しいよ~」と話してくれた。そして祖母の世代は戦争体験者なのでアメリカ人を快く思っていないだろうし、離島で生まれ育ち現在も基地と関わりの無い生活を「本当に静かでいいことさ~」と縁側でお茶片手にしみじみとユンタクする。そして「いくさ世」と「アメリカ世」を経て生まれ育ったワタシ達アラサー世代はというと、どちらかの意見に偏った環境によって生き方も大きく変わってくるような。そして育った土地によっても顕著に考え方や価値観は変わってくると思う。そして現在の沖縄県民のほとんどが戦争も体験していなければ、ドルも財布に入っていないし、「ウォーター」のことを「ワーラー」とも言わない。そしてワタシもここ10年ほど普天間基地のすぐ側に住んでいるが、さほど不憫を感じたことも無ければ、近所の駐車場はYナンバーだらけ。そしてどんなに強い意見を耳にしても、どんなに的を得た論評を読んでもやはり「遠くの親類より近くの他人」のスタンスを貫いている。「日本の他県には飛行機に乗ってしか行けないけれども、アメリカはフェンス越しにいつも側にある」のだ。困った時には「どうしたらいいんですかね?」と電話で問い合わせるけれども、実際タイヤがパンクをした時に助けてくれるのは通りがかったアメリカ人かもしれない。そんな切っても切り離せない関係が日常のあちこちに溢れている。息子と仲良くしているアメリカ人の友人家族とBBQもするし、ワタシの幼なじみは基地で働きそこで出会った人と結婚し家庭を築いた。親戚には旦那の異動に付いていきアメリカ在住の親戚もいれば、辺りを見渡せばどこもかしこも基地と密接に絡み合った仕事をしている人ばかり。そんな環境で毎年やってくる5.15の行進や集会をどう捉えるか、県民として参加するべきか、せざるべきか、と頭を悩ませる。教科書で学んだことには合点のいかない事ばかり。沖縄の戦後を調べれば調べるほど絶句して胸が詰まるような事件が。そして今も事件は後を絶たない・・そんな事を考え眉間にシワを寄せながら今日は一人でカメラ片手にドライブ。そして着いた先はあの道の駅。この景色が10年後20年後どう変わっているのか、と展望室でボーっと思いふけたりお土産屋さんを覗き込んだり。そしてここの道の駅は沖縄をギュッと凝縮したような仕上がりになってて、色んな意味でおなかいっぱいになる。あの器用さと、うまく取り込んでいる感じの中に未来へのヒントが入っているような・・


Posted by おかっぱ at 18:17│Comments(0)
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