2012年09月16日
野分台風。
野分(のわき)の風にしてはあまりにも強すぎるのではないでしょうか。しかしこれだけまっしぐらに脇目も振らずにこっちに向かってこられると、もはや「受け入れてしまおう」という気持ちになったのはワタシだけではないはず。名称のごとくラテンなノリで軽快に16ビートを刻みながらコースを辿るかと思いきや、その一本気で迷いの無い様はまるで日本映画に出てくる侍のようで摺り足のような歩みは他を寄せ付けず風格さえも感じてしまいました。居合いのように間と気迫を感じられる自然や人間というものに巡り会うと脅威も去ることながら感動や体感も無視できず。いっそ自分の体に記憶して今後に役立てていこうとする作業を始めてしまいます。そして進路が蛇行から直進に切り替わった時“きっと来る”と感じたと同時に、自然と手帳の余白を残していたワタシは、もはや台風と思考が連動しているようにモードが切り替えられるようになりました。その迷いの無い歩みと突き進む勢い。いざようワタシも見習わせて頂きます。野分立つ、その後はきっと秋。
「風の音がブルース・リーの雄叫びに聞こえる」
「“クーラーが逃げる”心配が無い夜」
「ずぶ濡れの頭に柔軟剤たっぷりのバスタオル」
「網戸と窓を洗ってくれてむしろありがとう」
「三々九度のような風雨の波」
「実家の母と瓦屋根の安否確認」
「やはりサンバも神風ではなかろうか」
「♪15,16,17と今年の台風すごかった~♪とやさぐれ声で替え歌」
「虫かごのカブトムシをジッと見ては甘栗を想像する食欲」
「あの人もこの人も家に居るはずという安心感」
「皮肉にもここぞと効果を発揮する基地防音工事の窓辺」
「雨のカーテンならぬ風の緞帳(どんちょう)」
「枝葉がカチャーシーしているように乱舞する」
「テーブルの上はお菓子品評会のよう」
「その更に上にある新月を想う」
「ギターの弦のようにしなっては弾いて奏でる電線」
「鳥や魚や虫や動物はどうしているだろう」
「家の中では珈琲の香りが渦を巻いています」
「残り湯洗濯2回分のバスタブ貯水」
「買いだめを控えるあまり不足する事態」
「秋分の日と敬老の日をドッキング」
「この雨量をあの地方の恵みの雨へ」
水や食料や電池の備蓄も必要ですが、心を落ち着かせるのはやはり本という相棒。この時が来るであろう為に買ったこの本は今ワタシの手元で静かにめくられています。雑誌、絵本、小説、図鑑などは時間を持て余すことなく過ごせる必需品。電気や電波に頼る機器とはまた違う時間を過ごすのが台風時の風情では。そしてどうにも絶妙のタイミングを感じてしまう今年の台風様方。この渦の外ではまた別の意味での大きな渦が生じているようで。あちらこちらのモヤモヤやらザワザワを上昇気流に乗せていっそどこかに運んでしまえれば。吹き返しの風が強いのは世論も自然も同じなのでしょうか・・野分晴れが待ち遠しい嵐の一日。

「風の音がブルース・リーの雄叫びに聞こえる」
「“クーラーが逃げる”心配が無い夜」
「ずぶ濡れの頭に柔軟剤たっぷりのバスタオル」
「網戸と窓を洗ってくれてむしろありがとう」
「三々九度のような風雨の波」
「実家の母と瓦屋根の安否確認」
「やはりサンバも神風ではなかろうか」
「♪15,16,17と今年の台風すごかった~♪とやさぐれ声で替え歌」
「虫かごのカブトムシをジッと見ては甘栗を想像する食欲」
「あの人もこの人も家に居るはずという安心感」
「皮肉にもここぞと効果を発揮する基地防音工事の窓辺」
「雨のカーテンならぬ風の緞帳(どんちょう)」
「枝葉がカチャーシーしているように乱舞する」
「テーブルの上はお菓子品評会のよう」
「その更に上にある新月を想う」
「ギターの弦のようにしなっては弾いて奏でる電線」
「鳥や魚や虫や動物はどうしているだろう」
「家の中では珈琲の香りが渦を巻いています」
「残り湯洗濯2回分のバスタブ貯水」
「買いだめを控えるあまり不足する事態」
「秋分の日と敬老の日をドッキング」
「この雨量をあの地方の恵みの雨へ」
水や食料や電池の備蓄も必要ですが、心を落ち着かせるのはやはり本という相棒。この時が来るであろう為に買ったこの本は今ワタシの手元で静かにめくられています。雑誌、絵本、小説、図鑑などは時間を持て余すことなく過ごせる必需品。電気や電波に頼る機器とはまた違う時間を過ごすのが台風時の風情では。そしてどうにも絶妙のタイミングを感じてしまう今年の台風様方。この渦の外ではまた別の意味での大きな渦が生じているようで。あちらこちらのモヤモヤやらザワザワを上昇気流に乗せていっそどこかに運んでしまえれば。吹き返しの風が強いのは世論も自然も同じなのでしょうか・・野分晴れが待ち遠しい嵐の一日。

Posted by おかっぱ at 11:21│Comments(0)
│ニチジョウ