2013年05月23日
ある晴れた日。
この日、ワタシも参加しました。日差し降り注ぐなか、多くの人で会場は埋め尽くされていました。怒りや憤りを訴えるウチナーグチが壇上から響いてくると、横にいたおじさんが「そうだそうだ!」と叫んでいました。グリーンの服を着た人々は帽子やサングラスで表情は見えないけれど、その佇まいだけでパワーやメッセージを感じました。人々の熱気なのか、気候の暑さなのか、それとも熱い思いなのか。一ヶ月経とうとしている今でも、時々思い出すあの空気。
帽子を被って、スニーカーを履いて、日焼け止めを塗って、手にはペットボトルを持って、会場へ向かうワタシ。ふと「これって、幸せだよね」と思いました。用意周到に準備が出来て、とある地域ではシャトルバスまで運行していたようです。いつ、どこで、何時から始まると事前に知らされていて、それに合わせて逆算で行動できる自分がいます。しかも、健康で何の不自由も感じずに会場まで歩いていける。これは幸せではないでしょうか。
67年前には、道路もなく衣服もなく水や食料もなく、まっすぐ歩けば生命はなかったでしょう。裸足で逃げまどい、縦横無尽に転がるようにこの地をさまよった多くの人々がいたことを、ワタシは、ある晴れた日に思ったんです。そして会場に来ているひとりひとりは確実に生きている。大きな声でメッセージを発している。ワタシは会の主旨どうこうよりも今、こうして自由でいられることに幸せを感じていました。
自分の足で歩けること、堂々と意見を主張できること、晴れた日に外に出られること。すべてが幸せです。怒っていても、悲しんでいても、納得いかなくても、今があるってなんてうれしいんでしょう。
そして晴れの日が恋しい今日この頃。
帽子を被って、スニーカーを履いて、日焼け止めを塗って、手にはペットボトルを持って、会場へ向かうワタシ。ふと「これって、幸せだよね」と思いました。用意周到に準備が出来て、とある地域ではシャトルバスまで運行していたようです。いつ、どこで、何時から始まると事前に知らされていて、それに合わせて逆算で行動できる自分がいます。しかも、健康で何の不自由も感じずに会場まで歩いていける。これは幸せではないでしょうか。
67年前には、道路もなく衣服もなく水や食料もなく、まっすぐ歩けば生命はなかったでしょう。裸足で逃げまどい、縦横無尽に転がるようにこの地をさまよった多くの人々がいたことを、ワタシは、ある晴れた日に思ったんです。そして会場に来ているひとりひとりは確実に生きている。大きな声でメッセージを発している。ワタシは会の主旨どうこうよりも今、こうして自由でいられることに幸せを感じていました。
自分の足で歩けること、堂々と意見を主張できること、晴れた日に外に出られること。すべてが幸せです。怒っていても、悲しんでいても、納得いかなくても、今があるってなんてうれしいんでしょう。
そして晴れの日が恋しい今日この頃。

Posted by おかっぱ at 17:27│Comments(0)
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