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2013年06月07日

海辺の出来事。


あの出来事を思うと、胸に込みあげるものがあって、手に汗をかき目頭が熱くなり、体の水分が外に出て気化していくのがわかります。ふとしたときにワタシを襲う「あのときの行動は正しかったのだろうか、もっと別の対応があったのかも」と心もとない気持ちと、申し訳ない思い。

数年前の初夏、ワタシは海に向かって歩いていました。そこは観光で訪れた他県で、国道沿いのバイパスからは海が見え、道の駅のようなお土産屋さんに立ち寄ったわずかな時間に、海岸まで下りてみようと散歩しました。灰色の砂浜と少しくすんだ紺色の海が視界に見えたころ、ワタシの歩くスピードは突然落ち、刻むようにしか進めなくなったのです。そして数メートル先の歩道に一人の老人が座っていて、歩道脇の雑草をむしっていたのが分かりました。そしてその雑草を、使い古したようなカップ麺に入れ、箸でほぐし、麺をすするように食べていたのが見えたのです。取っ手が外れあちこちが湾曲し、どう見ても機能していない鍋に入った水をカップ麺に注ぎ、また雑草をほぐしながら、少しづつ草を口に運んでいくその老人を見た時に、ワタシは足がすくんでしまったんです。そして歩んだ先にいる目の前の老人をただ通りすぎるのか、それとも何かしら対応すべきなのか、瞬時に判断しなくては、と思いました。

その老人に限らず、こういう場面に出くわすことは誰にもあることです。日常のごく自然にあることでしょう。忙しいからかまっている場合じゃない。こっちだって助けてほしい。手を差し伸べる余裕はない。誰だって必死に生きているし、自己責任だという意見もあるでしょう。弱者や強者は目で判断するものではありません。正直ワタシも無視することもあります。でも、あの時はそうじゃなかった。衣服は乱れ、髪や肌もすすけていて、細い体で壁に寄りかかっている老人を目の当たりにすると、恐れはなく、とにかく側にいかなければ、と思ったんです。そして持っていたコンビニのおにぎり2個とサンドイッチと飲み物と、食べかけのお菓子が入った袋を差し出し「よかったら、これ」と言いました。近づくとその老人の目はとてもキレイで澄んでいて、驚いたのを鮮明に覚えています。そしてその老人は一礼し、カップ麺を地面において、おにぎりが入ったレジ袋を受け取ってくれたんです。

その後海に向かったはずですが、ほとんど記憶もありません。しばらくはその老人のことばかり考えていました。持っている現金のほうがよかったのか。もっと別のものを買うべきだったのか。食べかけのお菓子はあまりに失礼だったろうか。予定を変更して公的な施設にその老人を連れて行ってあげればよかったのか。ワタシは間違っていたのでしょうか。そして正解はあるでしょうか。ワタシは今もわかりません。ただその老人にとって、わずかでも腹の足しになれば、そこから動く力になればいいなと思いました。

「自分のコトもままならないのに人助けなんかできないよ」人はそう言います。助けには到底及ばないことでも、励みになったり気持ちが温かくなるのは、ほんのささいな出来事だったりするんです。もっと与えられる人になりたいな。
海辺の出来事。 


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Posted by おかっぱ at 08:58│Comments(0)ニチジョウ
 
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