2013年06月23日
平和。
今日は朝早くから嘉数高台公園へ行ってきました。ここには戦争で犠牲となった他県他国の人々の慰霊碑や塔があります。そして激戦地となったこの高台からは、普天間基地がよく見渡せます。この場所にはよく足を運ぶのですが、やはり今日はいつもとは気分が違いました。
子供達はカブトムシやクワガタを捕まえようと虫取り網携えて走り回ります。それでもひとつひとつの碑や塔の前では一度立ち止まり、静かに手を合わせていました。大人も「この人たちの犠牲があったからこそ今こうして生きていられる」と改めて思いながら手を合わせます。あの日も今日のようにこんなに暑かったのだろうか。こんなに青い空だったろうか。白い雲は流れていたろうか。そしてこの地でどう感じたのだろうか。生きていることを喜んだろうか、嘆いたろうか。亡き人を想いながら、亡き人とともに生きていく人々にとって、この日はどんな意味をなすだろう。どれだけ想像しても、どれだけ感情移入しても、実際に体験している苦しみや悲しみには到底及ばないことでしょう。日差しがまぶしければ眩しいほど、空が青くて澄んでいるほど、木陰は暗く、風も涼しく感じました。
公園の帰り道をすすみ、遊歩道を下っていたころ、ワタシたちの前におじさん数人が地べたに座って何かをしていました。近寄ってみると囲碁を打っていました。一手一手は真剣そのもの。間や空気はまるでここが公園とは思えないほどでした。かたわらで見守るおじさんも無言でただジーッと碁盤を見つめています。戦争のこと、犠牲になった人々のこと、悲惨な戦場をおもい、胸につまるものをそのまま持ち帰ろうとしていたワタシですが、おじさん達に出会いそれまでの気持ちに変化が現れました。「撮ってもいいですか」とカメラを向けたら「打っている人の顔がもっと見えるように撮りなさい」と要求に近いアドバイスをいただきました。ワタシが「碁盤が側溝の真上にあるので少しズラしてはいかがでしょうか」と提案すると、あからさまにスルー。みなさま聞いていない素振りで勝負の世界へと戻ってしまいました。ワタシはスルーされたしょんぼりも一時で、むしろおじさん達のたくましさに元気をもらいました。ここには変わらない日常があって、特別な日に限ったことではないひとつの平和があるような気がしました。
特別な日に特別なことを思うのも大切だと思います。その時にしか感じられない思いがあるのも確かです。けれども、明日も今日と同じように、一ヵ月後も同じように、半年後にも、この先もずっと、平和に繋がる想いを感じられるかが大切だと思います。みんなの温かくて優しい願いはなにも今日に限ったことではないでしょう。囲碁打つおじさんも、手を合わせる人も、あなたも、わたしも、みんなが平和を願っていることに変わりはありません。大好きな沖縄は、痛みも悲しみも優しさもすべてを包んでくれるから。この島はたくさんの平和で溢れている。そう信じた一日でした。

子供達はカブトムシやクワガタを捕まえようと虫取り網携えて走り回ります。それでもひとつひとつの碑や塔の前では一度立ち止まり、静かに手を合わせていました。大人も「この人たちの犠牲があったからこそ今こうして生きていられる」と改めて思いながら手を合わせます。あの日も今日のようにこんなに暑かったのだろうか。こんなに青い空だったろうか。白い雲は流れていたろうか。そしてこの地でどう感じたのだろうか。生きていることを喜んだろうか、嘆いたろうか。亡き人を想いながら、亡き人とともに生きていく人々にとって、この日はどんな意味をなすだろう。どれだけ想像しても、どれだけ感情移入しても、実際に体験している苦しみや悲しみには到底及ばないことでしょう。日差しがまぶしければ眩しいほど、空が青くて澄んでいるほど、木陰は暗く、風も涼しく感じました。
公園の帰り道をすすみ、遊歩道を下っていたころ、ワタシたちの前におじさん数人が地べたに座って何かをしていました。近寄ってみると囲碁を打っていました。一手一手は真剣そのもの。間や空気はまるでここが公園とは思えないほどでした。かたわらで見守るおじさんも無言でただジーッと碁盤を見つめています。戦争のこと、犠牲になった人々のこと、悲惨な戦場をおもい、胸につまるものをそのまま持ち帰ろうとしていたワタシですが、おじさん達に出会いそれまでの気持ちに変化が現れました。「撮ってもいいですか」とカメラを向けたら「打っている人の顔がもっと見えるように撮りなさい」と要求に近いアドバイスをいただきました。ワタシが「碁盤が側溝の真上にあるので少しズラしてはいかがでしょうか」と提案すると、あからさまにスルー。みなさま聞いていない素振りで勝負の世界へと戻ってしまいました。ワタシはスルーされたしょんぼりも一時で、むしろおじさん達のたくましさに元気をもらいました。ここには変わらない日常があって、特別な日に限ったことではないひとつの平和があるような気がしました。
特別な日に特別なことを思うのも大切だと思います。その時にしか感じられない思いがあるのも確かです。けれども、明日も今日と同じように、一ヵ月後も同じように、半年後にも、この先もずっと、平和に繋がる想いを感じられるかが大切だと思います。みんなの温かくて優しい願いはなにも今日に限ったことではないでしょう。囲碁打つおじさんも、手を合わせる人も、あなたも、わたしも、みんなが平和を願っていることに変わりはありません。大好きな沖縄は、痛みも悲しみも優しさもすべてを包んでくれるから。この島はたくさんの平和で溢れている。そう信じた一日でした。

Posted by おかっぱ at 21:16│Comments(0)
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