2013年09月17日
辺野古の風。
辺野古にいきました。目の前をスッとよぎってはすぐに消えてしまう風と思い。ただみているだけじゃなく、つかまえてみたいです。手にとって、肌でかんじたいです。すべてはあっという間に変わってしまうから。
海をまもりたい。
自然をまもりたい。
ジュゴンをまもりたい。
人々の生活をまもりたい。
ひしひしとその思いは感じます。どれほど大切か、かけがえのないものか。ワタシの想像なんて取るに足らないくらい、守って、必死に守り抜いて、今があるのでしょう。
けれども、まもっているものがいつまでもあるとは限りません。必死にまもっていたものはスルスルと指の間を通りぬけ、手をはなれ、あっという間にどこかへ行ってしまうかもしれません。守っているものも、きっと生きているのです。手をのばし、たぐり寄せ、ワタシがつかまえたのはその思いでした。
必死に守っていたものが手元をはなれたとき、消えてしまったとき、思いだけがとり残されてしまったとき。人はどうなるのでしょう。思いはあたたかく、そして優しいものです。けれども、思いもよらぬことに触れると化学反応をおこし、まったく別の物に変わってしまうでしょう。思いも生きているのです。大切で、あたたかくて、やさしい思いも、時におそろしくて、あやういものになってしまう。
それは生きているすべてのものに起こりうること。
それをおそれず、受け入れたい。
そういうこともある、と知ること。
とてもこわいけれど、きっと大切なこと。
まもっていくことは、かわりつづけていくこと。
「すべては変わっているんだよ、
すべては生きているんだよ」
辺野古でスッとよぎった風がそうささやいていました。
とても心地よくてやさしい風でした。

海をまもりたい。
自然をまもりたい。
ジュゴンをまもりたい。
人々の生活をまもりたい。
ひしひしとその思いは感じます。どれほど大切か、かけがえのないものか。ワタシの想像なんて取るに足らないくらい、守って、必死に守り抜いて、今があるのでしょう。
けれども、まもっているものがいつまでもあるとは限りません。必死にまもっていたものはスルスルと指の間を通りぬけ、手をはなれ、あっという間にどこかへ行ってしまうかもしれません。守っているものも、きっと生きているのです。手をのばし、たぐり寄せ、ワタシがつかまえたのはその思いでした。
必死に守っていたものが手元をはなれたとき、消えてしまったとき、思いだけがとり残されてしまったとき。人はどうなるのでしょう。思いはあたたかく、そして優しいものです。けれども、思いもよらぬことに触れると化学反応をおこし、まったく別の物に変わってしまうでしょう。思いも生きているのです。大切で、あたたかくて、やさしい思いも、時におそろしくて、あやういものになってしまう。
それは生きているすべてのものに起こりうること。
それをおそれず、受け入れたい。
そういうこともある、と知ること。
とてもこわいけれど、きっと大切なこと。
まもっていくことは、かわりつづけていくこと。
「すべては変わっているんだよ、
すべては生きているんだよ」
辺野古でスッとよぎった風がそうささやいていました。
とても心地よくてやさしい風でした。

Posted by おかっぱ at 04:28│Comments(0)
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