2013年08月08日
父ちゃん。
ふと、父を想いました。13年前に他界した父を。娘として親孝行も何にもしてやれなかった。いつまで経っても後悔することばかり溢れてきて、いまさら謝ってももう遅い。もっと一緒にいたかった。もっと話をしたかった。一方通行の会話はきっと一生続くのでしょう。
一緒に過ごした記憶はほとんどなく、ワタシが物心ついた頃にはすでに父には異変が見受けられました。あるとき、父の左手がだらんとしなだれているアンバランスな姿が気になりました。左手でいつもタバコを持って吸っていたのに、気づけば右手に代えていました。それからほどなくして右手もだらんとして動かなくなり、タバコは自力で吸うことができなくなりました。それからあっという間に下半身にも異変があらわれ、歩行が困難になっていました。働き盛りの40代はじめにベッドで寝たきりになりました。病名はALS(筋萎縮性側索硬化症)という病気でした。何だか聞きなれなくて、妙に不気味で、いい知れない悪寒をいまでも覚えています。
ワタシはよく父に性格が似ていると言われます。部屋のすみっこの方で父が酒を呑んでいれば、ワタシは部屋の対角線上のすみっこでいつも本を読んでいました。部屋の真ん中では母親や姉妹がキャッキャと騒いで遊んだりしていました。父とワタシは、ひとりで何かをするのが好きだけど、どうにも寂しがりやなのでしょう。幼いながらに互いの性分や不器用さを感じとりつつ生活していました。
病気を発症してから亡くなるまでの10年間は、鮮明に覚えている部分と、全く記憶がない期間があります。父はワタシに身をもって命の大切さを教えてくれました。命を燃やす生きざまを見せてくれました。生きることの尊さをありのままに伝えてくれました。今はもう会えません。けれども思う気持ちは増すばかりです。姿や形があるとか無いとかは意味をなしません。生や死が引き離すことがあっても、心は前よりもずっと身近にあります。
ワタシは今日も歩きます。明日もきっと歩きます。若いうちに体が不自由になった父の分まで歩いていきます。歩いている先になにかがあると信じて一歩一歩あるきます。それが父への孝行だと信じています。歩くとほら、こんなにステキな空にも出会えるよ。

Posted by おかっぱ at 19:49│Comments(0)
│カゾク