2012年06月25日
チョイス。
朝、蛇口をひねると思わず「アチッ」と手を引っ込めてしまうほどの温度にまで上がる水道管経由のウォーター。そして毎年糸満の摩文仁で行われる慰霊の日の追悼式典をテレビの前でただ粛々と見つめる。そして梅雨明け宣言。エアコンのフィルター掃除。市の定期健診。「今年こそは水着を買うぞ!」と密かに意気込む決意。そしてシメには夏のスイッチをONにする儀式として腰に手を当て炭酸ガブ飲み。それらを週末一気に済ませたら、いよいよやってきましたね、夏が。TUBEのシーズンが。チューチュー1本大人食いのサマーが。そして私事ではありますがキリンの絵がパッケージのチューチューを少々本気で探しています。お心当たりの方、マチヤー小のオバー、どうか情報提供お願い致します。・・そんなこんなで身体的には夏モードに持っていこうと試みてはいるものの、どうにもメンタルが追い付かないワタシ。行動と精神に一貫性が無かったり、予測と結果がちぐはぐだったり、支離滅裂な対応をとってしまったり。そしてその理由を自分の中で探っては見つけ、展開しては検証して、とかなり地味な作業を日々の雑務をこなしながら繰り返しています。そしてそんな思考回路の時にいつも頭をよぎるのが、高校生の時に読んだ本のとある一節。それは“人はどんな選択をする時にも「好きか、嫌いか」と「正しいか、正しくないか」と「損か、得か」の要素で判断することが多い”という言葉。一字一句正確、という自信は無いがこの三種類の選択肢だけはハッキリと覚えている。そして激しく動揺し、いたく納得した記憶がある。それから度々事あるごとに迷ったり、腑に落ちなかったりすると、この言葉を思い出しては「どの要素で判断したのか、そしてそれは間違っていなかったか?」と復習したりして。これまで8割5分2厘くらい(適当)は“好きか嫌いか”で物事を選んできたワタシだが、ここにきて“正しいか正しくないか”を求められているような。それは「大人になれ」という言葉だったり「勝手なことをするな」という戒めだったり「いい年なんだから」という耳の痛いハナシだったり。これまで選択基準として滅多に引き出されてこなかった“損か得か”という事になってくると、もう未開の地ですよ、ワタシにとっては。でも「今やっといたら後が楽になるよ」とか「ここは乗っとくべきでしょ、トータル考えると」という話になると“損か、得か”の判断もあるような気がします。そして“正しいか、正しくないか”という所ジョージな判断基準は、一番難しいような。「悪しきことも転ずれば・・」というケースもたっぷりありますからね、このワンダフルワールドには。純粋に「正しいってどゆこと?」という疑問が念頭にあると、判断も鈍ってくるしね。でもいつまでも“好きか、嫌いか”の判断基準に囚われてると、見えてくるものも見えてこないような気がするし。でも“正しいか、正しくないか”“損か、得か”は結果論に過ぎない、というケースも多いような。そして環境や仕事によっては“必要か、必要でないか”とか“良いか、悪いか”とか“合うか、合わないか”とか目先の判断を瞬時に迫られますよね、どうしても。意識はしてなくても毎日が二択三択だったり、ごたくを並べたり、洗濯したり、キムタク眺めたり・・な毎日ですよね。・・あ、それはワタシだけか。そして「一度成功したからって次を二番煎じにしちゃおう」とするありがちで甘い考えのチョイスだけは避けたいものです。・・あ、イテテ。図星なことばっかり言ってたら自分が一番グサッときちゃった・・。キリンチューチューと正しいチョイスの仕方を探しに行こうっと・・


Posted by おかっぱ at 15:25│Comments(0)
│アタマノナカ